たぬきのお散歩 歴史・史跡を訪ねる♪(時々主婦ネタ)

歴史大好き三英傑大好きな主婦のたぬきと申します。東海地方の歴史箇所などをぶらぶらお散歩してみました。たまに主婦ネタもはさみます♪

第4弾の動画編集が終わって思う事

やっと動画編集が終わりブログが書けます。

ちょっとだけ歴史の逸話を知っているだけで知ったような気になる私がいざ編集をしてみるとこんなに無知だったと思い知らされるのです。

若いうちからもっと勉強をしておけばよかったと思い知らされる毎日です。

最近痛感していることがあります。

本をたくさん読むべきだったと。

理由は自分の語彙力がない事を日々感じるからなんです。

本は知識をくれるだけでなく、他人の考え方を知ることができるますよね。

親しい人との間でも、人の考え方って本当にわからないものだと私は思っているんですね。

腹の中はわからないというと聞こえがわるいでしょうか?(笑)

でも本の作者はきちんと自分の意見を話してくれます。

対人関係では普通はあり得ない事なんだと思います。

私は若い時はテレビで情報垂れ流しの中にいました。

テレビの音がついてないと落ち着かないというテレビ中毒ですよね。

今は動画編集をしたりブログを書いているときは無音のほうが落ち着いて作業しやすいですね。

娘も受験生だし、いい事だと思ってます。

でも、ユーチューブでためになるものは食いついてみてしまって時間を忘れるほど見入ってしまうという事が時々あって、反省したりもしています。

動画編集に入ると本当に日々時間がなくて、本がじっくり読む時間があまりないですね。

私は何か物事をするときには集中して他に煩わされることなくやってしまいたい人間なんですよね。

主婦(夫)の皆さんは共感していただけると思うのですが、家事って集中したい時間を細切れにしてしまいませんか?

朝昼晩の食事作りですでに3回の時間の細切れがあり、食器のかたずけから洗濯、掃除、洗濯の取り込み、お風呂の支度・・・・。

時間をブチブチと細切れしまくられます。

昔から感じていることですが・・・(笑)

細切れの時間を埋めるのには実はテレビが一番埋めやすかったんです。

テレビをみて自分のことでもないのにテレビの中の人と一緒に怒ったりして、怒り=ストレスという認識がなかった私は関係のないことで怒ってストレスを勝手にため込んでいました。

本当にあほだったなーと思います。

 たぬき夫婦は、とくにたぬき旦那はなーんにも考えてなかったアホ人間でしたので、沢山しっぱいをしてきました。

こんなあほあほ夫婦に考えさせることができてきたのは介護と育児と対人関係と歴史だったと思います。

若い皆さん方が私たちのように失敗しないように介護の話や育児の話もしていきたいと思っています。

皆さんは後悔は少なく生きてください。

次は第四回のお散歩のお話をしていきます。

豊臣秀吉公、天下人、編集しながら本当に人生を考えさせられました。

農民から関白まで上っていった秀吉公、どんなお人柄だったのか迷い考えながら動画編集をしました。

加藤清正公の人を思い、自分に厳しいその実直さ、尊敬せざるおえませんでした。

それではまた次回に!!

 

 

 

 

 

暗黒の襖!■主婦ネタ行きます■

初主婦ネタおつきあいください♪

 

みなさん、ゴールデンウィークはいかがでしたか?

私はしっかり家に引きこもってゴロゴロしておりました。

普段仕事と家事で忙しいので、時間に追われるのが少ない休みには動画編集をしたり、普段できない家事をしたりゆっくり休んでおりました。

そうそう、襖も張り替えたりしました。

また別でもお話しできればと思うのですが、たぬき夫婦が煙草を吸っていた時代。

壁紙もよろしい状態ではなくなって行きます。やがて禁煙も成功し、壁紙をDIYで塗りなおしをしました。

問題となる暗黒の襖は、生前にたぬき旦那のおばあちゃんが使っていた部屋のもので、よくあるリビングと続く形で部屋があるので、リビング側は壁紙の塗りなおしの際に一緒に塗装をしてそこそこ綺麗になったのでした。

しかし、和室側の襖はというと。。。。。。。

様々な汚れが集合体と化した、暗黒の襖であった!

なぜそうなったか?わからないぐらいの汚れ。

襖も、手をかけるところ以外に触れて開け閉めをしていたようで、至る所に手垢と穴あきなどがあったんですね。

いくら何でもこれはいけないって、今回のGWを機にDIY!

一生懸命張ってみたのですが、シワシワに出来上がりました・・・。

まあ、暗黒よりは100倍ましですのでそのままにしておきますw

家族のかたち・同居するということは大変!

主人のおばあちゃんは少し変わった人でした。

自分が一番の人でして、都合がいいように人を操ろうとするような人でした。

ちょうど子育て真っ盛りだったたぬきにとてつもなくダメージを毎日与え続ける天才でもありました。

今思い返しますと、私良く生きてるなーと我ながら感心いたします。

家事が嫌いで依存心の高いおばあちゃんは涙ながらに同居を求め、好き勝手やり残して旅立ちました。

興味のある方がいましたら、襖ではなく、たぬきの暗黒年表でも、またお話いたしましょうw

 

ゴールデンウィークに中村公園にいってまいりました。

いろいろ調べているうちに私がどれほど無知だったのか知らされました。

実は撮影をかねて取り忘れなどを繰り返して何度もお邪魔しているのですが・・・。

豊国神社の令和記念の御朱印もいただけました^^

不思議なご縁で勉強させていただきました豊臣秀吉公出生の場所であります中村公園近くにあります 「太閤山 常泉寺」の動画とお話もまたさせていただております。

先に、豊国神社のお散歩動画をアップいたしましたので、よかったらご覧ください。

最後までお読みいただきありがとうございます。

読者登録のほうもよろしくお願いいたします♪

 

 

太閤秀吉公出生の地

今回は名古屋市中村区にあります、中村公園にお散歩にまいりましたー!

いつもながら、撮影をやり直したり、一体何回行ったことでしょう?

私の周りだけかもしれませんが、名古屋市住なのに中村で豊臣秀吉公がお生まれになったことを知らない人が多くて驚きます。

 

中村公園はます、大鳥居が印象的ですよね。

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立派な大鳥居ですね。

ビルと比べるとその大きさが際立ちます。

明治時代に明治天皇によって豊臣秀吉の名誉回復を宣言され、神号を贈られ豊臣秀吉公を再び祭ることが許されました。

大阪夏の陣の後、神号をはく奪され江戸時代は秀吉公を祭ることができなかったそうで、現在大鳥居が作られ、どうどうと秀吉公にお会いすることができるのは時代の変化なんですね。

 

豊国神社です。 

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長い長い冬の時代が終わり、沢山の参拝者がひっきりなしにお参りしています。

私も秀吉公のように、人たらしになってみたいと思ったりしています。

出世街道まっしぐらの時の秀吉公は一度会ってしまうと好きにならずにはいられない人物だと何かで読みました。

秀吉公のエピソードの中で一番忘れられない事です。

人に嫌な思いをさせない、気分良く楽しくなってもらえる。

そんなことができたら天下だってとれてしまうのは必然ではないでしょうか?

温厚そうにみえるのに眼光が鋭い人ってたまにいますが、私のイメージの秀吉公はまさしくそんな感じに思えています。

摂社は加藤清正公です。

最後の最後まで豊臣家を守ろうとした人です。

忠義を忘れない、それは人間としてものすごく素晴らしい事ですよね。

豊臣秀長公と加藤清正公がもう少し長生きをしていたら、歴史にもしかしたらはナンセンスですが、江戸時代はもしかしたらなかったのかもしれませんね。

歴史の面白さ、人が歴史を作る・・・。

本当にそのままなのかもしれません。

 

太閤のしだれ桜

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京都醍醐寺で行われた盛大なお花見。

慶長3年(1598)に奈良吉野山から桜700本も移植しお茶の心得のあるものには身分を問わず参加資格をあたえ行われたそうです。

そんな盛大に行われたお花見の桜の子孫である樹齢150年のしだれ桜のクローン桜が植えられていました。

淡いピンクが綺麗ですね。

私も桜が大好きです。

吉野の千本桜も見たことがありますが、本当に見事でした。

 

中村公園史跡がじつはまだまだたくさんあります。

お時間がありましたら詳しくは動画をみてみてください。

こんなに史跡のつまった公園が無料で見ることができるなんて・・・

やっぱり名古屋は太っ腹ですよね^^

 

お近くにお住まいでしたらお子さんと勉強と堅苦しい事は言わず、秀吉公と清正公に会いにいってみてはいかがですか?

中村公園プラザでは2階に秀吉清正記念館もあります。

なんと!!!!!!無料ではいれるんです。これもまたびっくりです。

 

長くなりましたので再び続きます。


【 太閤秀吉 】巨大な鳥居の先にまつ、秀吉公誕生の地【 中村公園 】

 

 

 

 

 

桶狭間古戦場跡地 豊明市伝説地あたり その弐

豊明市桶狭間古戦場伝説地のおさんぽ その弐

お散歩の続きを早速まいります。

高徳院を出発して坂道をひたすら登っていきました。

運動不足にはこたえる緩やかに長く続く坂道ー。

近所のかたに次の史跡の場所を訪ねるけれども皆さん知らないようで、無事にたどり着けるのか不安でした。

しばらく登って坂道が終わり郵便局もこえてもうしばらくいくと、こんな電柱がみえました。

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すぐそこ、らしいので迷いつつ公園に近寄ってみますと・・・。

 

豊明市桶狭間古戦場伝説地 鷺之森石碑

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本当にありましたー。

そして想像よりめちゃ小さい・・・。

この碑を作ったのもやはり山口正義氏だそうです。

織田信長公が熱田神宮で戦勝祈願をしたところ、白鷲が二羽社殿より飛び立ち、今川義元公の休憩していた場所近くの森に舞い降りたそうです。

桶狭間の合戦が戦勝したことにより建てられたのが、熱田神宮にあります信長塀なんだそうです。

熱田神宮は白鳥伝説の場所ですから、なんだかドキドキしてしまうしょうな伝説です。

次におとずれたのは。。。。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 よろいかけの松の旧地の石碑

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名鉄中京競馬場前駅の南口出口近くにあります、有料駐車場からみれました。

ここも到着まで迷いまして・・まさか止めてあった駐車場から見れたとは・・・。

駐車場ですから車にお気を付けください。

ですが、国道一号線からも見る事が実はできました。すこし遠いですがそのほうが安全ですね。

織田信長公の鎧かけ言われているようですが、私が資料を探していると大正時代の絵葉書に今川義元公の鎧がけの松というのを発見しまして、もう混乱しかない状態です。

続きましてはこちらへ移動しました。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 釜ヶ谷

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善照寺砦に千の兵を残し、旗をいっぱい掲げさせてまるで本陣がここであるように見せかけた信長公は、残り二千の兵を率いてこの釜ケ谷までやってきました。

おけはざま山からは晴天でしたら二千の兵が移動するのはきっと丸見えだったのではないかと思います、ところが・・・雷雨が激しく降り注いでいたらしく、馬のヒヅメの音もかき消されたのでしょう。

そこからは今川本陣に突撃ということになります。

その際に織田軍がかけあがった場所が、、、、。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 信長坂

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現在では名古屋短期大学、桜花学園大学の敷地内となっています。

私はどうしてもこの坂にのぼりたくて、平日に連絡をとり、お願いして撮影許可とともにお願いしておりました。

快く快諾くださり、この場所に来ることができました。

ありがたい限りです。

さて、今回の旅のメインイベントです。

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ゆっくりと登ってみました。

感無量です。はぁ・・・幸せです。

 

この後、今川義元公が討たれ、今川軍は鳴海城も調略され大高城からも逃げ出すことになったのですね。世紀の逆転劇の場所だとやはりおもわれますね。

 

今回のお散歩、とても大満足でした。

動画のほうではグルメも回っておりますので、よかったら見てやってください。

 


【 信長坂 】信長が奇襲で駆け上がったと言われる坂。その他史跡をお散歩!【桶狭間合戦地その2】

 

桶狭間古戦場跡地 豊明市伝説地あたり その壱

第二回目のお散歩は豊明市桶狭間古戦場伝説地 壱

第二回目のお散歩です。

今回は豊明市の伝説地あたりをうろうろとお散歩してみようと行ってまいりました。

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二つの古戦場跡地があると言われますと、どっちが本物なの?と探偵心になってしまいますが、きっとどちらも本当なのではないかと私は思ったりしました。

戦死者3500人以上と言われている戦ですから、桶狭間山一帯で、生きるか死ぬかの戦いをしていたことは想像できます。

やはり、逃げ出したくなる足軽だっていたでしょうし、それを追いかける足軽だっていたことでしょう。

おけはざま山周辺一帯が戦場だったと思われます。

そして「今川義元公はねずの木につないであった馬に乗って逃げようとしたところ間に合わずに討ち取られたんだよねー。」

それを聞いたほうは「桶狭間にあるねずの木かー。このねずの木がそうなんだろうなー。」

ねずの木という目印でそれっぽい場所が二か所ありました。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 ねずの木

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これであっちだこっちだとなったような気がするたぬきでした。

ごめんなさい、素人の勝手な想像でしかありませんです。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 今川義元公のお墓

今川義元公のお墓になります。

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明治9年5月に建立されたお墓です。

桶狭間古戦場の石碑をお墓だと勘違いして拝む人がいたために山口正義氏が主唱して建立したものなんだそうです。

私も、お邪魔いたしますと手を合わさせていただきました。

お散歩中に今川義元公のお墓に手を合わせている人は何人もみかけたのでした。

さすが「街道一の弓取り」とよばれた人物ですね。500年たっても手を合わせる人々が訪れているのですから。

豊明市桶狭間古戦場伝説地 一号碑

お墓のすぐ裏手にありますのが七石表のひとつであります一号碑があります。

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一号碑とは」今川義元公が討たれた場所を表しているんだそうです。

明和8年に尾張藩士人見弥右衛門桼・赤林孫七郎信之によって建てられたものだそうです。

七石という名の通り残り六石あるのですが、すべて今川軍の戦死した武将の場所を示しているんだそうです。

 

石碑の後ろに少し見えますお墓は仏式のお墓になります。

仏式のお墓の隣にはお化け地蔵様がありました。

嘉永6年、尾張藩士が建立したものだそうです。

亡霊が現れるとの話があり、お地蔵様を建立したところ亡霊があらわれなくなったそうです。

お地蔵様のお写真は遠慮をさせてもらいました。

七石碑の二号碑は伝説地より道を挟んで反対側にあります。

高徳院にあるんです。

 

豊明市桶狭間伝説地 高徳院

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竹藪のなかにひっそりと二号碑がありまして、その場所には義元とともに戦死した今川家重臣松井宗信のお墓があります。

義元の墓碑と同じく明治9年に山口正義によって建立されました。

こちらも写真は遠慮をしました。

豊明市桶狭間伝説地 今川義元公の本陣跡の石碑

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今川義元公の本陣跡の石碑になります。

桶狭間古戦場伝説地になてたかったようですが、許可が下りずに今川義元公の子孫のかたが高徳院に建てられたものだそうです。

 

史跡巡りのお散歩はまだまだ続きますが、長くなりましたので次にいたします。

長くなりますが、読んであげてくださいませ。


【 信長坂 】信長が奇襲で駆け上がったと言われる坂。その他史跡をお散歩!【桶狭間合戦地その2】

 

桶狭間古戦場公園周辺のお散歩

初めましてのごあいさつ

私日本史好きのたぬきと申します。

いろいろな歴史的な場所や、史跡などをブログと動画で紹介していきます。

私は日本史が好きなのですが、とても詳しいわけではなく、史跡を「お散歩」という軽い心意気で散策してみることによって空っぽの私の頭の中に少しでも先人たちの素晴らしい生きざまや知恵を勉強させていただこうと企み始めてみようと思っております。

どうぞ、宜しくお願いいたします。

 

初めてのお散歩★

さて、最初のお散歩に選んだのは私が大好きな戦国武将、織田信長さんが一躍全国にその名を轟かせた桶狭間の合戦跡地に行こうと決めたのでした。

私は東海地方に住んでいるのですが、愛知県という場所は三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)が生誕した場所なのですが、あんがい愛知県のひとでもあまり興味のない人が多い印象で驚かせられます。

私が熱く語ろうもんなら変態扱いを受けるものですから、一人で少し新しいことを知っては自己満足で終わるだけでした。ちょっと悲しい・・・。

なので、少しでもこの三英傑のすばらしい生きざまや歴史上の賢人たちや日本という国がすべての国の中でも長い歴史の間に途切れずにこれたのか、勉強出来たらいいなー、と思い私のように歴史好きだけどあんまり詳しくないような人が楽しめるような動画とかブログで楽しんでいただけたらと思いやっていこうと思っております。

全国の人があまり知らないようなそんな史跡を見つけてご紹介していこうと思っております。

 

2つの合戦地?桶狭間へお散歩!

 

桶狭間古戦場公園

まず、桶狭間古戦場公園に行きました。
桶狭間の戦いは永禄三年五月十九日(1560年6月12日)に駿河の守護大名である今川義元公と尾張の織田信長公との戦いです。

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名古屋市さんたら、名古屋城の天守閣を作り変えようとしてるだけあって力の入り方がすごいです!

それは。。。。。。。。 

ARジオラマ

ご存知の方も多いと思いますが、スマホなのどのアプリを使いQRや風景を撮影すると色々なムービーなどを楽しめたりするものなのです。

お城や砦の配置がジオラマ形式で公園内に配置されており、アプリをかざしてその時の状況や、戦況を解説またはドラマ説明をしてくれました。

ジオラマの風景は義元公の首洗い池を利用しながら公園内に川が流れ、お城や砦にみたてた石が建っており、本当にすごい所です。
こんな素晴らしい施設が公園として開放されていて感動させられてしまいました。

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ARジオラマの全体図です。

看板にARラボをdLしたスマホなどをかざすとところどころにあるARの看板の中から絵が動きだして説明してくれるんです。
心なしか、今川義元公の声がニヒルに聞こえた私なのですが^^;
皆さんもぜひにAR劇場試してみてください!!面白かったですし、感動します。

実際にスマホを片手に訪れているかとも多かったです。 

まだまだほんとはあるんです。。。。。

  動画では一日で回ったみたいに編集してあるんですが、実は不慣れすぎて、何日も通っては少しづつとった動画をつなぎ合わせては編集してあるんですね。

形にするのは少し大変でした。

熱く語っておられる方々が、またボランティアの案内の方でしょうか?

ここでは歴史の楽し気な会話がっ繰り広げられておりまして、私は歴史好きは一人じゃないと心の中でガッツポーズをしておりました。

それから桶狭間で散策しておいしいものもご褒美に食べようとたくらんだのですが、何しろすべてが初めてのことなので「動画とってもいいですかー?」「動画載せてもいいですかー?」と聞くことが恥ずかしくって恥ずかしくって、もうそれだけで大変だったんです。

 

史跡もわかりにくいところが結構ありまして、と言いますか・・・桶狭間の今川本陣といわれる場所は大体の場所なので一つではないし、今川義元公が討たれたという場所も一つではないわけです。

史跡も調べれば調べるほどいろいろありまして、もう頭の中が大混乱になっておりました。私のからっぽの頭の知識に皆様の温かい情報を入れていただけたら、たぬきはうれしくて仕方あるまいりませんです。

是非、ご指摘、情報などお待ちしております。

  

七ツ塚

この七ツ塚は今まで知りませんでした。
衝撃を受けました。
まるで絵本のような知識だった私に合戦とは生死であると改めて叩きつけられる史跡でした。

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写真も撮ったのですが、載せるのはやめさせていただきます。
七つも穴が必要だったと考えますと、戦死者がどれほどいたのかと想像できてしまいます。
合戦とはきっと血生くさく、心痛み、悲しみでしかなかったことでしょう。
現代における戦争と同じで悲劇でしかないように思えます。
しかし、この戦で日本の歴史が変わったのは絶対です。
この戦がなかったら、平和な江戸時代はなかった事はぜったいです。 

最後に★

 松平元康こと徳川家康公は今川軍の人質であり、今川軍に絶対服従の家臣でしかなかったわけですから、天下取りに踊りだすなどとは、その当時誰も想像できなかったのではないでしょうか?

江戸時代がなければ大政奉還もなく、海外の国に日本という国が植民地化していた可能性のほうが大きく私には思えるのです。

江戸文化がなかったならば、日本における寺子屋などの教育もなかったように思えますし、賢い日本人達が生まれていったように思っているのです。

というわけで、私たぬきはこの桶狭間の合戦は思い入れの深い史跡であります。

 来年の春に大学受験をする子の親でありまして、パート勤めに主婦業もこなさなければならず、頻繁な更新と動画だしは専業者のようにはできないと思いますが、私なりに時間を節約しながら頑張ってやっていきたいと思っております。

最後までご覧いただきましてありがとうございます。

 長くなりますので、次つづくでお願いします。

お散歩動画もぜひご覧くださいませ。

 
桶狭間の戦い。お散歩したらすごく楽しめた! たぬきのお散歩【桶狭間合戦地その1】桶狭間史跡をいろいろお散歩!